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8/29朝曇りのちスコール1時間のち時々晴れ。
最終日はノープラン。レイトチェックアウトにしておいたのでビーチでのんびり過ごす事にした。
今回の旅行で初めての雨。一旦部屋に戻ってコーヒーブレイク。
すぐに雨が止んだので再び海へ。14:30くらいまでアンダマン海を眺めて時間を過ごす。
17:00チェックアウトを済ませガイドと共に空港へ。
時間があったので空港内をウロウロしていると見た事のある顔が…
おぉ去年のツアーガイドさんだ!声を掛けたら驚いていたけど、本当に覚えていたか怪しいな。
5分ほど立ち話をしてお別れ。KLIAへ出発。乗り継ぎ便出発まで2時間弱余裕があったので
サテライトへ移動後、夜ご飯を食べて空港探索もしてみた。兎に角広いの一言。
喫煙所(2Fに2箇所)も端っこに追いやられ移動が大変でした。
23:00に成田へ向けて離陸、(時差+1時間)朝7:00無事に
帰国となりました。今回のツアーはほとんど雨が降らず
プラン通りに事が運んだ為、充実していましたがあっという間に
終わってしまった感があります。もう2・3日ステイしたかったのが
本音です。また来年行くことにします。スーツケースも
無くならなかったし、天気も良かったので去年のリベンジは
果たせたのではないかと思います!
※ガイドさんとの余談
私「人気のホテルは?」
ガ「シェラトンね。便利だし部屋も広いから」
私「海はあまり綺麗じゃないでしょ?」
ガ「海は島の北側のほうが綺麗。タンジュン・ルーとかダタイが
お薦めね。タンジュン・ルーはエレベータないけどね」
私「なるほど。ところでラマダン中に食べてる所を見つかったら?」
ガ「警察に連れて行かれるとかは無いんだ。イスラム教の上層部が
市中引き回しみたいに、こいつ食べたぞってさらし者にするのね。
ちなみにタバコも吸っちゃいけないんだよ。あと妊婦と子供は
食べてもOKよ。」
私「へぇ。でも○○島ツアーのスタッフはバカバカ吸ってた気が…
バレなきゃいいんだね。」
ガ「モーマンタイ!」
※追記
・ランカウイケーブルカーはメンテナンス中で乗れません
・ジ・アンダマンのフィットネス施設も工事中でマシンは通路に
移動されてます(使えます)
・自由に使えるパソコンが4台あり日本語表示はOKでした
・ラマダン中は日没後、一旦店を閉め20:00に再びオープンする
所が多いようです。目的の物があるなら諦めずに!
・8/31は独立記念日(53周年)でした。島内至る所に国旗が
掲揚されていました。
・8/29LGK空港18:25 CIMB BANK10,000円→359RM
8/29KLIA22:00 10,000円→338RM(チラ見の為確信持てず)
2010/09/03 09:09:26
わんこの施設があるというので行ってみました。
河口湖をドライブ。
ホテルは全体に古く、楽しみにしていたお風呂も期待はずれ。
2010/08/30 08:08:27
2日間、お化粧しっぱなしの為、バリッバリだったお肌もスパで受けたフェイシャルトリートメントですっきり!
後はお部屋でゆっくりしながら荷物が届くのを待つことに。
今回のお部屋は、オールインクルーシブのザ・ロイヤルの Corner suite Ocean Front。
アルコールもどの飲み物もオールインクルーシブのホテルは初めての私達。
どんなものが含まれているかというと、
●チェックインの際のウェルカム・カクテル
●フィットネスセンター利用
●24時間 VIPラウンジでのカクテル、軽食、ゲームテーブル(ビリヤード、ピンポンなど)
●24時間 ルームサービス
●お部屋のミニバーの無制限利用
●ソムリエによるテキーラ/ワインテイスティング教室
●テニスコート(ラケット等器材レンタル付き/ご希望の方プロレッスン有(有料)
●ライブラリー、ゲームルームのご利用
●毎日様々な参加型のエンターテイメント。
●ビーチでのシェード付きカバーニャ、ビーチベッド利用
●日焼け止めクリーム等、ビーチサイドでのバトラーサービス
●ターンダウンサービス
●カクテルパーティー
●チップ
まだまだあります♪
今回お世話になったコーナースィートのお部屋ですと、
●空港~ホテルの専用車での送迎
●1日に10組限定のシェフズプレートでのディナー
●お部屋からのインターネットアクセス(スピードも問題なし!)
●3種類からの枕を指定
●お部屋でたいて下さるアロマを3種類からチョイス
●バスローブ&スリッパ完備
●音響設備はBOSE
●チェックインの48時間前に、各お部屋の景色などを確認しながらお好きなお部屋をWEBチェックイン
●ミニクーパー 1時間試乗
●室内にスチームサウナ
などなど。
後篇では、そのお部屋をご紹介しましょう☆
2010/08/29 08:08:57
<2005年4月27日(水)>
昨晩ガイドさんから聞いていた今朝のスケジュールです。朝が早いので、最初はレストランを使わずに弁当を用意する手筈でしたが、徐さんが頑張って、早くレストイランを開けてもらうことになりました。その予定です。「食事は6:30分から2階のレストランで、モーニングコールも6:30分、出発は8:00分ロビー集合」でした。その予定通り。照明を抑えた中でレストランの準備がされていました。
<桂林から広州へ>
慌しい朝の準備を終えて、予定通り6時半にはホテルを出発しました。桂林の飛行場から広州へ向けて飛び立つ飛行便の時間の都合のためでした。早くチェックインを済ませるため、荷物の方を先に空港へ送り、パスポートも、食事前に全員が徐さんに預けました。
予定通りの時間にホテルを車で出発し、桂林飛行場へ向かいました。そのバスの中で陸さんが話してくれた桂林事情です。
「共稼ぎが多く、ほとんど外食です。イへの値段は500万元ほど、日本円に直すと6500万円ほどです。平方メータ当たり、4000元程度が相場です」
「不動産は国有で、農家は2、30年の期間で使用契約を結びます。前回は1999年に契約されましたから、次の契約は2030年になります」
「農家の場合、以前は物納でしたが、今は税金としてお金で納めています」
「今の中国で心配なことが健康保険です。働き手が病気をすれば、家族だけでなく、親戚まで貧乏になって仕舞います」
「ゴルフ場の会員権は1万元ほどです。プレー代の方は数百元といったところです」
等の話しをお聞きしている内に、桂林飛行場に到着しました。
<西漢南越汪墓博物館見学>
西漢南越王墓博物館見学は土砂降りの中でした。女性の現地ガイドさんは、最初に、
「これ位の雨は、広州では小雨と言っています」
と、話されていましたが、雷も鳴り始めた大雨に、
「広州でも小雨ではありません。大雨です」
と、訂正が入りました。自己紹介された広州の現地ガイドさんのことを記しておきます。お名前は段さん、ロシアとの国境近くのご出身です。ハルビン近くで、15分で国境に達するウスリ湖の近くだそうです。
「私は28歳になります。結婚したばかりで、お互いに仕事が忙しく、まだ新婚旅行には行っていません」
「サーズ問題が発生した時は、完全に仕事が無くなりました。それで4ヶ月の間で6kgも体重が増えてしまいました。今でも完全には元に戻っていません。この間に小さな旅行会社は潰れてしまいました。幸い私の会社は大丈夫でした」
「ダイエット法は色々試しましたが、どれも効果が上がりませんでした。痩せる石鹸、痩せるお茶、痩せるクリームなどでした」
と、綺麗な日本語で話してくれました。肝心の王墓ですが、若い男性の案内員の方が、引率しながら日本語で説明してくれました。第二代王の未盗掘の墳墓で、多くの副葬品が発掘されました。2千年以上も前の墳墓です。見事な金印を始め、千点以上もの発掘があったとされます。墳墓を中心に、博物館が建設されていました。初代王の墳墓は現在も未発見です。
1つだけ書き添えますと、現地で入手した日本語版の博物館紹介のパンフレットは、日本語が不正確で、余り出来がいいものではありませんでした。内容の面でも、写真は申し分ありませんが、表現に少し物足りなさが残りました。例えば、第二代王の時代が2000年以上前とあるだけですが、もう少し具体的な数字が欲しいところです。現地の説明員の方からお聞きした話では、紀元前350年と言った数字もありました。
<段さんが紹介してくれた広州>
次は段さんが紹介してくれた広東省の州都、広州のことです。箇条書きで記しておきます。
?人口は1千万人、地元の人の割合は、半分の5百万人。外来人口が半分、流動人口とも言っている。
?商業都市で、年平均気温は31.8度C。昨年は38.9度Cの高温日があり、39人が熱中死。中国全土ではトルファンの気温が一番高く、50度Cに達する。
?亜熱帯気候で、パイナップル、パパイア、ライチ等、200種類以上の豊富な果物。
?一年中緑が絶えず、花城の別名がある。
?サラリーマンの平均給与は月給6万円。エリートだと10万円ほど。レストランの皿荒いなどの職種は1万円。
?野菜は豊富で、100グラム当たり10円程度。
?マンションの値段は800万円程度で、内装無し。内装代は最低80万円程度。
?タクシーの初乗り料金は7元、冷房バスが2元、冷房無しだと1元。
?ホンダのフィットは130万円程度、国産車だと70万円くらいだが、故障が多い。
?車関係の仕事は、アフリカ出身の黒人が多い。理由は分からない。
?農村部の昼休みは3時間で、昼寝をする。都心部では長い昼休みはとらない。
?農家は借家を持って、裕福な人が多い。
?朝は3元のパンか、5元の麺類。昼は弁当が多い。
?駅付近は治安が良くない。
?年2回、貿易会が開かれている。
?1978年、小平さんの解放政策の1番目の都市に選ばれた。
などの話しでした。私はバスの前の方の席でメモを取っていました。かなり丁寧な内容でした。
<中山紀念堂見学>
中山紀念堂見学の時も相変わらず強い雨が降っていました。ほとんどの人がバッグに傘を仕舞っていましたので、ありあわせの傘で、バスと紀念堂の間をピストン往復となりました。
中山は孫文の号です。日本では、孫文と教えられていますから、余り知られていない呼び方です。国民党の創設者として、中国本土だけでなく、台湾でもいまだ尊敬されている偉人です。
つい最近、台湾の国民党の党首の連戦さんが、国民党党首としては、戦後始めて中国訪問を果たし、中国要人との会談に臨まれました。このことは、日本でも大きく報道されました。
国民党と中国共産党との関係は複雑です。第二次大戦を挟んで、紆余曲折がありました。私が理解し、解説できるレベルのものではありません。その中でも、よく知られた出来事がいくつかあります。その1つが、国共合作です。毛沢東と蒋介石が手を結んだ抗日運動です。日本が敗戦国になった後、最終的に国民党も大陸を逃れ、台湾に拠点を置くことになったことも、よく知られたアジア現代史の1コマです。
昨年3月の台湾旅行で、台湾化の実情も垣間見てきました。総統選挙、国会選挙の最中でしたから、台湾政治が見えやすくなっていた時期です。
孫文に対し、台湾では国民党の創設者として尊敬され、中国本土では辛亥革命などを指導した革命家として評価されているようです。評価される側面が違っていても、中国本土と台湾とで、共通する偉人を持つことは、好ましいことだと思っています。
それにしても、最近起きた仙台での出来事には胸が痛みます。日本にも共通する偉人である魯迅の記念館での事件でした。中国要人が植樹された樹が傷つけられたことは、中日両国の心ある人達、深くを傷つけてしまったことは疑いがありません。
<帰国>
S.P.先生ご夫妻、徐さんご夫妻とは、合流した時と同じように、飛行場でお別れしました。セントレア行きの日本航空662便は、少し遅れて出発しましたが、平穏なフライトで無事に名古屋に到着しました。座席はかなり空いていました。ざっと、3割位だったようです。機内食は控えて、ボルドーワインを楽しみながらの空の旅でした。
空港にはEnちゃんを出迎えのOgさんと、久しぶりにお会いしました。私の場合は、往きと同じように金山まで名鉄電車で行き、そこからは地下鉄です。幸い電車も座ることが出来ました。
旅の終りに
楽さの後に寄来る寂さよ堪て綴りぬ旅の想出
読返し文の拙さ恥入も忍て亦の旅を願いぬ
中日の思い違(たが)えるこの時に小さき絆紡ぎ弥増せ
<謝辞>
今まで一番美しかったし自然景観景色を見たのが、2002年10月の黄龍、九寨溝の旅行でした。今回の龍背棚田は、景観としてはそれには及ばないかも知れませんが、人と自然とで作り出した景観としては、今までで一番のものでした。
1000m近い山の田植え時は遅く、棚田にはまだ水が張ってありませんでしたが、田植え時、秋の実り、積雪の時期など手元の写真集でも見ることができました。四季折々の見事な棚田の風景でした。
こんな素晴しい旅行が出来たのも、Enさん、Ogさんのお骨折りに負うところが大でした。記して心よりお礼を申し上げます。そのOgさんが、お仕事の都合でご一緒できなかったことが、誠に残念でした。中国旅行常連のYaさんご夫妻も、今回はご一緒できませんでしたが、次の機会を楽しみとさせて頂きます。
S.P.先生と奥様のYa先生、Haさんご夫妻、K.M.さん、Yaさんご夫妻と徐亮さんとは、黄龍、九寨溝の旅行に続いてご一緒させて頂きました。楽しい旅行を共有できましたことを、心から厚くお礼申し上げます。
今回始めてご一緒させて頂いたSoさんご夫妻、Doさんご夫妻、徐さんのご両親にも、記して心からお礼を申し上げます。
また、旅行の最中、色々とお骨折り頂いた桂林の陸さんをはじめ現地で案内して頂いた方にも厚くお礼を申し上げます。他にも記してお礼を申し上げるべき方が多くありますが、重ねてお礼を申し上げることで、非礼をお許しください。本当に皆様方、有難うございました。 謝謝 非常感謝
2010/08/29 08:08:20
<2007年2月18日(日)>
昨晩は、レストランでの大晦日の晩餐会に始まり、2次会まですっかりご馳走になってしまいました。元旦の今日が、帰国の日となりますが、夕方の便ですから半日以上ゆっくり出来ます。朝も少しゆっくり過ごし、楊先生が作って頂いた、上海の正月料理を楽しみました。
<龍華寺に初詣へ>
元旦の食事の後、今日もEnちゃん運転の車で出掛けました。上海で一番古いお寺とされる龍華寺の初詣です。その由緒ある龍華寺について、インターネット情報などを参照して説明します。
龍華寺は、上海市の市の南西郊外に位置する禅寺です。釈迦の弟子である弥勒菩薩が、龍華樹の下で仏様になったという逸話から寺の名前が付けられました。
龍華寺とその前に建つ龍華塔は、上海でも指折りの名勝です。三国時代に、呉の孫権が、夫に先立たれた母の悲しみを慰めるために建立したのが始まりと言われます。そのため龍華寺と龍華塔は、それぞれ「報恩寺」「報恩塔」とも呼ばれています。
建築様式は宋代の宋伽藍七堂制です。弥勒殿、天王殿、大雄宝殿、三聖殿、方丈室、蔵経楼が中央にまっすぐ並んで建ち、その両側には鐘楼と鼓楼があります。この並び方は龍の姿を現しています。大雄宝殿が頭部、鐘楼と鼓楼が耳、東西の門前町の中にある二つの井戸が龍の両目であるとされます。
宋代・明代・清代と修復が重ねられ繁栄をしましたが、残念なことに文化大革命の折に、甚大な損害を被りました。しかし1978年、人民政府の手によって再建されました。この時に、龍華塔の前に流れていた玉帯河は埋められ民家となり、山門は取り壊され、井戸は埋められました。
龍華寺には、明代の神宗皇帝から下賜された三つの宝があります。金印、ルシャナ仏と経典です。あわせて三宝と呼ばれています。この日は拝観出来ませんでした。インターネットに掲載されていた、龍華寺の平面図と坐像を紹介しておきます。(写真掲載は省略しました)
<龍華寺へのアクセス>
今回は、Enちゃん運転の車で初詣に訪れましたが、後日のために公共交通機関でのアクセスを紹介しておきます。住所は、上海市徐匯区龍華路2853号です。
鉄道の場合は、上海駅から約10キロです。車では約20分の距離になります。地下鉄4号線の上海体育館駅からは、約1.5キロとなります。徒歩では、約20分です。路線バスの場合、41、44、56路バスで龍華鎮下車となります。龍華寺の中国語読みは「ロン・ホアー・スー(Long Hua Si)」です。
<龍華寺の初詣>
入場料は大人10元、子供が5元です。線香代も含んでいます。日本のものより太く長い線香です。いつもは入場の時に渡されるようですが、初詣で混雑していましたから、入場した後、入場券と引き換えでした。
大きな線香でしたから、ライターでは、なかなか火が付きませんでした。宝殿に向かい、願い事をしてから3回お辞儀をしてから。その線香は燃してしまうようです。大混雑でしたから、煙の中をOさんが、代表で線香を上げに行かれました。
三国時代の247年、呉の孫権により建立された当初の建物は、太平天国の乱で焼失しました。現在の建物は、清の光緒年間(1875-1908年)に再建されたものであり、更にその後の文化大革命時に破壊された個所も修復されました。
天王殿には、弥勒菩薩をはじめとして四天王などの仏像が安置されています。三経殿の東側にある牡丹園には、樹齢100年を超す牡丹があり、春には一勢に咲き揃います。
龍華寺のシンボルの龍華塔は、寺の創建時に築かれましたが、唐代の末期に破損し、宋代の977年に再建されました。それから、1000年以上の歴史を持ちます。
その龍華塔の高さは約40m、八角形の七層から成り、各層の軒先には鈴が付いています。塔の上からは、上海市街や黄浦江が一望できますが、残念ながら今登ることが出来ません。木とレンガで造られているこの塔の老朽化が進んだためです。お寺の西側にある「龍華公園」は、桃の名所として有名です。
<創建者の孫権について>
龍華寺の創建者とされる孫権についても、フリー百科事典の「ウィキペディア」を参照しながら紹介しておきます。
孫権(そんけん Sun Quan 182年-252年)は、中国、後漢末から三国時代の人物です。三国鼎立の一角を担った呉の名君です。字は仲謀、呉の初代皇帝(在位222年‐252年)で、廟号は太祖です。
先祖は兵法家の孫子とされますが、信憑性は低いようです。「長命で帝位に昇る相」といわれた通り、三国志の君主の中で最も長命でした。
「三国志演義」では「碧顔紫髯の異相の持ち主」と描かれました。兄孫策の死後、呉の君主となりました。周瑜、張昭らの補佐を受け地盤を固めました。208年には劉備と連合、赤壁の戦いで勝利し、曹操の南下を食い止めました。
荊州、交州などに勢力を伸ばし、229年に呉の皇帝となりました。晩年は後継者選びで、政治を混乱させました。死後、大皇帝と呼ばれました。
父の孫堅は、「仲謀は只者では無い、貴人の相をしている」と言い、将来を期待していました。呉の礎を築いた孫堅、「江東の小覇王」と恐れられた兄孫策を相次いで亡くし、わずか19歳で呉の君主となりました。外交策に長け、変化自在な外交方針を中心に、呉建国を成功させました。
臣下にも恵まれ、孫堅・孫策以来の旧臣である周瑜、程普、黄蓋、韓当、朱治らの武官や、張昭、張紘などの文官に加え、諸葛瑾、魯粛、呂蒙、陸遜、朱然、などの新世代の優秀な文武官も、若い孫権を支えました。
その後、劉備が勢力を拡大して、曹操を脅かす勢いになると、今度は曹操に臣下の礼を示して恭順し、関羽を討って荊州を劉備から奪い取りました。荊州を奪還するため東進してきた蜀軍を夷陵の戦いで破った後、早々に蜀漢と和を結んで魏に対抗するなど、時期を見計らってある時は魏と、ある時は蜀漢と同盟を結び、三国の均衡を保っていました。
晩年は後継者問題で国を荒らし、王表という神を信じて福を求めるなど老耄が目立ちました。呉主伝で陳寿は「身を屈して、恥を忍び、計を重んじ、勾践の奇英あり人に勝れしものなり」と評しています。
勾践は日本では後醍醐天皇が隠岐に流された際に、児島高徳が「天勾践を空(むな)しゅうする莫(なか)れ 時范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず」という歌を詠んで励ましたエピソードがあります。この歌は、若い頃、吉川英次さんの小説で読んで、今も記憶している一節です。
勾践(?-紀元前465年)は、中国春秋時代後期の越の王です。名臣范蠡の補佐を得て、当時大陸の南方で強大な勢力を誇っていた呉を滅ぼし、春秋五覇の一人に数えられることもあります。なお、句践と表記されることもあります。
因みに孫権の子孫は今現在、中国杭州の富陽市南部の龍門古鎮という村に住んでいるとされ、この村では9割の人間の姓が「孫」です。
<銀都路住宅の近くのレストランでの昼食>
龍華寺での初詣の後、銀都路近くのレストランへ向かいました。昨年の大晦日の宴会をご一緒させて頂いたレストランです。孫濱先生と楊先生は歩いて、このレストランへお見えになりました。お店の名前は、「宝燕海鮮」です。
このお店の1階には食材や調理例などの品を展示してありますから、実物を確認しながら注文が出来ます。S.P.先生が、奥様のYa先生や娘さんのEnさんと相談しながら、メニューを決められました。私は、その時間を利用して、ざっとその展示の品をカメラに収めました。
個室が用意されていましたので、美味しい料理を戴きながら、ゆっくりと昼の時間を過ごしました。夕方のフライトですから、時間の心配はありません。鱶鰭スープなどの高級料理が卓上に並びました。
Otさんは本場のチャーハンが食べたかったらしく、最後にその注文をされました。私は量的にも十分で遠慮しましたが、さすがにOtさんは、そのチャーハンを完食されました。
<歩いて銀都路住宅へ>
昼食のレストランからは、歩いて銀都路の住宅へ向かうこととしました。ミッちゃんと鬼頭さんは、買い物のためにいつものスーパーへ立ち寄られるとのことでした。こちらは、Enちゃんが車で送られました。どちらへ向かうにしても、さほどの距離ではありません。
レストランがある一角は、新しく出来た商店街です。その中を通って、本通りへ出ました。本通には、かなり大きなホテルも出来ていました。何度も通ったことがある大通りです。
銀都路住宅への出入口は、複数箇所にあります。大通りに面した、いつもの出入口ではなく、フィットネスクラブがある方の出入口へ向かいました。こちらの方がかなり近道になります。
その出入口の近くには、「田園」の名前が付いた公園があります。案内看板には、2003年に着工し、2004年に竣工したこと等が記されていました。フィットネス用の運動用具も各種設備された立派な公園です。横を通っただけですが、手入れや清掃がしっかりとされていました。
出入口の警備室では、行き先の確認がありましたが、楊先生が53号へ戻られる事を答えられていました。53号(ウーシーサンハオ)は、私も良く覚えています。一人で戻る時に、いつも使っていたからです。銀都路は、セキュリティチェックがしっかりした住宅ですから、住む人にとっては実に安心です。
ご自宅へは、Enちゃんが先に帰宅されていました。Mtちゃんたちは買い物ですが、道路を挟んで向かい側のスーパーです。やがて、お二人も帰宅されました。
<帰国>
S.P.先生と、奥様のYa先生とは、銀都路の住宅前で手を振ってお別れしました。上海空港までの車は、上海到着の時と同じように、Enちゃんが運転して戴きました。この後、1、2日、ご親戚等とのお約束があるので、その後で帰国されると、お聞きしました。
元旦の帰国でしたが、上海空港の駐車は混んでいました。空港ターミナルの端っこの方に車を停めて、Enちゃんがチェックインのお手伝いと見送りをして戴きました。最初から最後まで、今回の4人のメンバーは、お世話になりっ放しでした。本当に有難うございました。
元旦の帰国でしたから、空港内は、それほどの混雑はありませんでした。早目に出国審査を終えて、出発ゲートへ向かいました。帰りは、往きよりも短い2時間程のフライトです。
往きにもOgさんの車で迎えて頂きましたが、帰りも自宅まで送って頂きました。荷物があるときには大助かりです。以前から使われていた個人駐車場の場所が変わっていましたが、送迎の車がやってきますので、不便さはありません。名古屋空港の近所から引っ越して、商売をされているとお聞きしました。2泊3日の上海旧正月旅行が終りました。
龍華寺で
竜華寺は卑弥呼時代の創建と想い巡らす年の始に
線香に霞む古刹の境内に新に昇る煙彼処に
2010/08/28 05:08:13
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